生きていれば・・
2004年11月8日医療関係の仕事をしている。
先週、仕事先の病院へ行った。
かなり大規模な病院である。
近々、退院して自宅療養する予定の患者さん、家族への
説明で赴いたのだが、ナースステーションで医師、看護師
さんが集まって何やらただならぬ雰囲気。
今朝になって患者さんの様態が思わしくなくなり、退院が
危ういかも、というのだ。
そう、自宅療養といってもターミナルケア、自宅で最期を
看取りたいという家族の思いがあっての退院なのだ。
しばし、医師、家族らが相談。
結局、ひょっとしたら難しいかもしれないが、明日の退院に
向けて動きましょう、という事になった。
本当は週明けの予定だったが待っていられない。
みんながいつもの倍以上の速度で手回しをする。
翌朝、病院からは何も連絡が無い。
ということは「予定通り」と言う事だ。
私は一足先に自宅前で待機する。暫くして寝台車と共に
患者さんがやってくる。
みんながテキパキ動いて、自宅に備えられたベッドに
落ち着くことが出来た。
待っていた家族は、旦那さん、娘さん、そのお孫さん。
そして近くのご友人も。
患者さん本人も、昨日は意識混濁?という感じであったが
今日はびっくりするくらい意識明瞭の様だ。
とにかく、「自宅に帰った」という事が判って居ることが
嬉しい。
ああ、この時のために昨日みんなで力をあわせて良かった
なあ・・と思える瞬間である。
そのとき、お孫さんがやってきた。(3才)
「おばあちゃんおかえりー」
「うん、ただいま」
「元気になった?」
「うん、元気だよ、ありがとうね」
その時は「良かったな・・」と思うだけだった。でも。
帰りの車の中で思い出したら涙が出そうになった。
生きてさえいれば、何かが出来る。
先週、仕事先の病院へ行った。
かなり大規模な病院である。
近々、退院して自宅療養する予定の患者さん、家族への
説明で赴いたのだが、ナースステーションで医師、看護師
さんが集まって何やらただならぬ雰囲気。
今朝になって患者さんの様態が思わしくなくなり、退院が
危ういかも、というのだ。
そう、自宅療養といってもターミナルケア、自宅で最期を
看取りたいという家族の思いがあっての退院なのだ。
しばし、医師、家族らが相談。
結局、ひょっとしたら難しいかもしれないが、明日の退院に
向けて動きましょう、という事になった。
本当は週明けの予定だったが待っていられない。
みんながいつもの倍以上の速度で手回しをする。
翌朝、病院からは何も連絡が無い。
ということは「予定通り」と言う事だ。
私は一足先に自宅前で待機する。暫くして寝台車と共に
患者さんがやってくる。
みんながテキパキ動いて、自宅に備えられたベッドに
落ち着くことが出来た。
待っていた家族は、旦那さん、娘さん、そのお孫さん。
そして近くのご友人も。
患者さん本人も、昨日は意識混濁?という感じであったが
今日はびっくりするくらい意識明瞭の様だ。
とにかく、「自宅に帰った」という事が判って居ることが
嬉しい。
ああ、この時のために昨日みんなで力をあわせて良かった
なあ・・と思える瞬間である。
そのとき、お孫さんがやってきた。(3才)
「おばあちゃんおかえりー」
「うん、ただいま」
「元気になった?」
「うん、元気だよ、ありがとうね」
その時は「良かったな・・」と思うだけだった。でも。
帰りの車の中で思い出したら涙が出そうになった。
生きてさえいれば、何かが出来る。
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